真空調理法でステーキを調理する

以前、なんだったかのテレビ番組で「真空調理」という料理法があるのを知りました。


肉を焼くときなど、たんぱく質が固まり始める温度の、一歩手前の温度をキープして温めてあげると、美味しさが引き出されるとのこと。
wikipedia によると「1979年にフランスでジョルジュ・プラリュによりフォアグラのテリーヌの調理のため開発された調理法のひとつ」とのこと。
フォアグラを調理する際は、温度管理が難しそうですからね。


で、自分で温度計を持ちながら、火をつけたり止めたりするのは大変なので、なんとか自動化できないものかと思っていたところ、真空調理をするためのガジェットがあるということをネットで知りました。「Anova Precision Cooker」というもので、Gigazineのこちらのページに、詳細な紹介記事が出ていました。


残念ながら、今現在、日本で輸入販売してくれている会社は無いようなので、覚悟を決めて、米国のamazon.comから取り寄せました。


「Anova Precision Cooker」は、円筒形の容器に入って届きます。


開けてみると、こんな感じです。米国向けの電化製品なので、電気プラグはアースのついた三本足タイプです。
プラグの変換器を用意しましょう。


お肉は好きなものを買ってくれば良いのですが、我が家ではオージービーフが大人気です。
赤身肉のもも肉と、少し脂の乗ったサーロインを300-400gづつ焼いて食すのが定番です。
刺しがたくさん入った和牛も美味しいんでしょうけど、歳のせいか、刺しの少ない肉の方が美味しいと感じられる今日この頃です。
(しかも、とても安い!)

もも肉
 

サーロイン
 


以下、作り方を説明しますが、簡単に言うと、こんな感じ。

1.下味をつけてジップロックに入れる。
2.「Anova Precision Cooker」で熱を通す。(2〜3時間)
3.焼き目を付ける
4.食す

 ステップ毎に説明します。

1.下味をつけてジップロックに入れる。


まず、肉にクレイジーソルトなどの香辛料をまぶして、大きなジップロックに入れます。
水を張った鍋の中にジップロックを入れて、水の圧力を利用して、ジップロック内部の空気を押し出すようにして、封をします。
こうすることで、肉が入ったジップロックが鍋の底に沈み、また、温まった水がジップロック越しに肉に触れることで、熱が伝わって調理できるようになります。



2.「Anova Precision Cooker」で熱を通す。

鍋の中に、お肉が入ったジップロックと、「Anova Precision Cooker」をセットします。

「Anova Precision Cooker」のダイヤル(上の写真で青く光ってる部分)を回すと、調理温度を設定できます。
我が家的には、55度がいいみたいです。60℃を超えると、タンパク質が固くなってしまうので、美味しくなくなってしまいます(注意)


温度を設定したら、数字の下にある赤いボタンを押します。
「Anova Precision Cooker」の、水の中に浸かった部分にヒーターと、プロペラが入っていて、水の温度を上げながら、鍋全体のお湯を混ぜて温度が均一になるようにしてくれます。


後は、2時間〜3時間ほど放っておくだけ!
「Anova Precision Cooker」が熱を通してくれます。


3.焼き目を付ける

食べる直前にフライパンで焼き目を付けます。

焼き目を付ける前は、こんな状態です。 火は通っているのですが、あまり美味しそうな感じがしません。

やっぱり、肉には焼き目を付けてあげないと!ということで、表面をさっと焼き、焼き色がついたら、フライパンから上げます。あまり長時間焼くと、肉が硬くなってしまって、美味しくなくなるので注意。

焼いた後、すぐに肉を切ると、肉汁が溢れてきてしまいます。
10分程度肉を休ませると、肉汁が肉の中に戻って、美味しく食せるそうです。
一般的には、お湯で温めたお皿の上に置いて、アルミホイル等をかぶせてあげるのが良いとされていますが、幸い55度の温水が手元にあるので、それを活用します。

新しいジップロックを出し、その中に焼いたばかりの肉を入れ、再び温水の中に戻し、10分ほど待つと出来上がり。


4.食す

ナイフで切ったところが、こんな感じ。一見すると、火が通っていない超レアっぽい感じですが、ちゃんと熱は通っています。
そして、美味いです! シンプルに塩・黒コショウ・山葵などで食べると、肉の美味しさが十二分に味わえて愉しいです。


サーロインを焼くと、こんな感じ。 サーロインは焼いてすぐに切っても肉汁が溢れ出たりしないので、そのまま食べちゃいます。


 このステーキに慣れちゃうと、正直、もう、外食で高いお金を出してステーキ食べる気がしなくなっちゃいます。


 安くておいしいと評判の「いきなりステーキ」でも1gあたり6円(リブロース)〜8円(ヒレ肉)ですからね。。。。

 お店に行かなくても、自宅で気軽に美味しいステーキが食べられるので、「Anova Precision Cooker」は買う価値あり!だと思います。

※本体価格+送料で、30,000円くらいかかってしまうのと、米国amazon.comから購入するので、多少の英語が必要というところが、少々ハードル高いとは思いますけど。。。。

FitBit charge HR で、できないこと

心拍数を常に計測してくれるというのがウリの、FitBit charge HR を購入して、非常に気に入って使っています。

(上:FitBit charge HR)

基本的に、非常に満足しているのですが、これまで使っていた mio alpha (腕時計型心拍計の最初期型)では出来たのに、Charge HR では出来ないことがあって、ちょっと残念に思っています。

(上:mio alpha)

購入を検討されている方の、ご参考になればと思い、まとめてみました。


それは、、、Charge HRが収集するデータは、(基本的に)他のアプリから参照できない、ということです。


気になって調べてみたら、 Fitbit がヘルスケアと連動しないということは、こちらの記事や、
『mHealth Watch』注目ニュース:Fitbit、HealthKitからの離脱
その元ネタとなっている、こちらの記事にも記述がありますが、
Is Fitbit’s opt-out drawing the battle lines against HealthKit?


このことは、あまり知られてはいないようで、私も、charge HR購入前に「それなりに」仕様について調べましたが、まさかつながらないとは思っていなかったので、上のような記事を見つけることはできませんでした。

例えば、私が使っているアプリには、次のものがあります。
しかし、これらのアプリでは(基本的に) charge HR が収集しているデータを利用することができません。


RunKeeper
Heart Graph
・ヘルスケア


【runkeeper を使うときの注意点】


これまでは、runkeeper と mio alpha を一緒に使い、ジョギングをすれば、runkeeper のデータに心拍数のデータが取り込まれました。
走っている間に、音声でLap Time等と一緒に、現在の心拍数を教えてくれるという機能もありました。


しかし、runkeeper と charge HR を一緒につかっても、runkeeper は、charge HRの心拍数のデータを取り込むことはできません。
他のランニング系アプリも、全て同様の筈です。


FitBit のアプリにも、走ったコースやラップタイム、心拍数をまとめて記録してくれる機能はあります。 
アプリの機能には、それぞれ一長一短ありますし、好みもあるでしょうから、同じアプリを使い続けられないというのは、少し痛いところです。
※正直、FitBit のランニング記録の機能は、かなり物足りない感じがします。


【心拍数記録アプリを使うときの注意点】


また、これまではジムの中でトレッドミル(ルームランナー)を使って走るとき、Heart Graph と mio alpha を同時につかっていました。
そうすると、iPhoneトレッドミルの操作パネルのところに置いて、心拍数の変動を見ながら負荷を調節できるのが、とても便利なのです。
画面例(↓)

しかし、FitBit のアプリには、大きな画面で現在の心拍数を表示する機能もなければ、リアルタイムのグラフを表示してくれる機能もありません。



【ヘルスケアとFitBitでのデータの相互参照】


なお、iPhone のヘルスケアと、fitbit のアプリの間で、データを互いに参照することができる裏技が、「Yukibou's Hideout on Hatena 」に紹介されていました。

端的に言うと、"Sync Solver" というアプリを導入すれば、互いに参照できるようになります。

このアプリ、「Fitbit がヘルスケアのデータを取り込む」アプリと、「ヘルスケアがFitbitのデータを取り込む」アプリの二種類が用意されています。

それぞれ 240円なので、両方そろえると 480円となりますが、iPhone や charge HR を買うお金に比べたら、安いもんです。気前よく払ってあげましょう!

一度アプリを起動してしまえば、バックグラウンドでデータの同期をとってくれるので、非常に便利です。


【ANT+ 規格にも、当然対応してません】


心拍計では、割とポピュラーな規格に ANT+ というのがありますが、charge HR は、この規格にも対応してません。


製品仕様のページに「 ANT+ 」と書かれていないということは、そういうことなんですが。


私は ANT+ 規格対応の機器を持っていませんが、持っている人は「連携できない」と覚悟しておくことが必要かと。

以上、どなたかの参考になれば幸いです。

「観音像仏頭部のすげ替え行為が著作者の死後の人格的利益の侵害にあたるとした事例」

「月刊住職」という雑誌に、こんな記事が出ていると、Facebookの知人が紹介していたので、気になって調べてみました。

『仏像の面相(仏顔)のすげ替えが著作権侵害とされた判決の検証・・・大家重夫(久留米大学名誉教授)
先代が仏師に依頼して作った仏像の顔に違和感を感じたら住職はどうすべきか。現住職は十一面観音立像の制作にかかわった仏師の一人に修正を依頼したが、これが著作権の侵害だと裁判になったのだ。寺院も留意すべき知的財産権とは何か。 』

本来なら、Facebookに書けばいいとも思ったのですが、あまりに長文になってしまったので、blogに書く次第。

判決そのものではなく、その判決についての論文が web にありましたので、それを読んだ感想です。

https://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/chizai/5/09.pdf

知財高判平成22年3月25日判決、判例時報2086号114頁

■事件の概要

 東京、本駒込駅近くにある光源寺というお寺には、駒込大観音という仏像(以下「本観音像」という)がまつられています。本観音像は二代目で、初代は1700年頃からあったものの、東京大空襲で寺と一緒に焼けてしまい、しばらくは仏像もない状態が続いていたとのこと。

 先代の住職が、昭和62年に仏師Rに本観音像の制作を依頼、完成したのは平成5年。

 で、時代が過ぎて平成15年。住職も代替わりして、現住職(Y1)は「観音像の表情が参拝者をにらみつけるように見えることに強い違和感を感じ」「檀家や一般拝観者からもどうようの苦情や、慈悲深い表情とするよう善処を求める旨の要望を受けていた」そうです。

 現住職(被告)は、仏師R存命中に、眼のあたりの修繕を依頼したものの、修繕に応じてもらえませんでした。

 仏師Rの死後、住職はRの弟子である仏師Y2(本観音像の制作にも関与した)に相談したところ、表情を変えるためには、今あるものを彫りなおすのでは難しく、新たに仏頭部を作り変えて、すげ替えることが必要と言われた。

 住職は、Rの遺族であるXに、仏頭部の作り直しについての承諾を求めたが、Xがこれを拒絶。 しかし、住職はY2に新たな仏頭部の作成を依頼。平成18年にこれが完成し、すげ替えられることとなった。

 これに対し、Xが原告となり、住職と、弟子Y2に対して、同一性保持権の侵害であるとして、次のようなことを求めて訴訟を起こした。
・原状回復(保管されている古い仏頭部に戻せ)
・原状回復するまで、一般公開するな。
謝罪広告または訂正広告を新聞に出せ。


著作権法の条文の確認(と、ざっくりした説明)

 同一性保持権とは、著作権の一つで、著作者の意志に反して、勝手に改変することを禁止できる権利。「おふくろさんよ」の歌詞に、勝手に台詞を付けたことが、同一性保持権の侵害にあたるとして争われたケースが世間的には有名かと思います。

第20条  著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
2項(例外規定)4号
 前三号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変(については、適用しない)


 なお、この論文によると、判決文の中で、弟子Y2は、本観音像の制作に関与したことまでは確認されているものの、Y2が著作権者であるという認定はされておらず(否定もされていない模様)、本観音像の著作者は、既に死亡した、仏師R一人であるという前提で議論がされたようです。

 なお、同一性保持権は「一身専属」とされており、他人に譲渡したり、相続の対象とすることができない権利とされています。

 じゃあ、本件では、遺族Xが原告となって訴えを起こすことできないんじゃないの?とも思うのですが、著作権法には以下のような規定があって、これらの規定に基づいて、訴えを起こしています。

第60条
 著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。

第116条1項
 著作者…の死後においては、その遺族(…)は、当該著作者…について第60条…に違反する行為をした者…に対し前条(115条)の請求をすることができる。

第115条
 著作者…は、…その著作者人格権…を侵害した者に対し、損害の賠償に代えて、又は損害の賠償とともに、著作者又は実演家であることを確保し、又は訂正その他著作者若しくは実演家の名誉若しくは声望を回復するために適当な措置を請求することができる。

 つまり、著作者である仏師Rは既に死んでいるが、仏師Rが生きているとしたならば、顔のすげ替えはみとめなかったであろうから(と、遺族Xは思うので)、観音像の顔のすげ替えは、著作権法第60条に違反する。

 第60条に違反しているならば、第116条に基づき、第115条の請求をすることができる。

 だから、第115条に基づいて、「元に戻せ」とか「謝罪広告を出せ」と要求する、と、そういう話がつながるわけです。

 ふぅ。ここまでが、背景説明です。

東京地裁の判決

 東京地裁は、次のように判断しています。

・頭部のすげ替えは、同一性保持権の侵害に当たる。
・仏師Rが生前に作り直す意向を示した証拠はないので、第60条但し書き「その行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。」は適用されない。

 ※、現住職(被告)が、仏師R存命中に、眼のあたりの修繕を依頼したものの、修繕に応じなかったという事実が認定されているため、「その行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合」には当たらないと判断された。

 よって、元に戻せという主張は認めたが、元に戻す以上、謝罪広告は不要として、謝罪広告については認めなかった。

 原告Xは謝罪広告が認められない点が不服で、被告住職は、頭部を元に戻せと言われたのが不服で、双方ともに控訴。知財高裁でも、同様の判決が出たようで、双方ともに最高裁へ上告したが、上告を棄却したことから、結果、東京地裁の判決が確定した。



■感想

 まあ、法的には、妥当な判決だと思います。
 しかし、これで、誰が得をするのか、という問題は残ります。

 現住職も、檀家も、拝観者も、「にらみつけるような」形相の観音像を拝まなくてはならないのって、どうなんだろう?と思います。

 条文引用では、省略しましたが、遺族として権利行使できるのは、仏師Rの配偶者、子、父母、孫、祖父母または兄弟姉妹に限定されているので、全ての孫が死に絶えるまで待つというのも、あまり現実的ではありません。(その前に、現住職が・・・)


■じゃあ、どうするのよ?

 極めて、法的・ビジネス的な話にはなりますが、現住職としては、原告Xを黙らせておく必要があったと思います。
 多分、原告Xとしては、仏師Rの意向に沿って、観音像の顔を変えることなく、そのまま観覧に供してほしいという思いがあったんだと思います。

 逆にいえば、その仏像が死蔵されるとか、「お焚きあげ」(=焼却処分)されることは、本意ではないと思われます。

 仏師Y2の新しい頭部を作らせる前に、頭部すげ替えについての同意書(著作権法第60条等の権利不行使の確認書)をとっておくべきでした。

 もし、同意が得られないなら、新しい観音像を作って、今のものは、誰にも見せないようにするぞ!と迫れば、多分、(渋々ながら)同意書を出してくれただろうと思います。
本観音像は、寺の所有物である以上、それを観覧に供するか、焼却処分するかは、寺の代表者である現住職が持っているわけで、そこを交渉のテコにすることは可能でした。

 今からでも可能なんですけどね(笑)

 判決に従って、本観音像の顔を元に戻したうえで、倉庫に死蔵するということであれば、誰も文句は言えない訳ですから。

 お賽銭箱を二つ用意して、こんな札を付けて置いてみてはどうでしょうね。
・「このお顔の観音像がお好きな方」
・「お顔がもっと柔和な観音像にしてほしい方」

 両方に溜まったお賽銭で、観音像を一体新たに制作しちゃうということで(笑)


■そもそも論ですが

 先代の住職が、仏師Rに観音像の制作を依頼する際に、ちゃんと契約書を作って、「著作者人格権の不行使」を約束させておくべきでした。

■契約の際に注意すべきこと(著作権法上)

 著作権譲渡の契約の場合、著作権法上、注意すべき点は3つと思ってます。

著作者人格権の不行使
・二次的著作物に関する権利(著作権法第27条および第28条に規定されている権利)の譲渡
・今は、著作権上認められていないが、将来付与される権利の譲渡

 著作権法って、技術の発展に伴って、新たな権利が作られてきていますので、今後も何が起こるか分からないので、3番目も忘れずに入れておきたいものです。

 なお、文化庁が「誰でもできる著作権契約マニュアル」というのを web で公開していて、その内容が下のリンクから読めます。

http://www.bunka.go.jp/chosakuken/keiyaku_manual/1_1_2.html

 いかにも専門家が書いたものなので、法学部を出てない人とか、契約を読みなれていない人には、ちょっと敷居が高そうな感じはしますが、印刷して、じっくり読めば、得られるものは多いと思いますので、(必要な人は)読んでほしいと思います。

 以上、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました(ぺこり)

旅行記 2013夏 第2日目 ミュシャのステンドグラスに感動!

近くの教会の鐘の音が聞こえて、目が覚めた。朝の街は、どんな雰囲気だろうと、部屋の窓から通りの写真を撮ってみた。
  

空気がひんやりしていて、気持よかったなぁ。

まだ目覚める前の街の様子を見てみようと、朝食前に軽い散歩に出かけてみた。

路地裏に佇むリカルドくん  ヤン・フス像とリカルドくん
ティーン教会前のリカルドくん(以下略)  旧市庁舎
ほとんど人のいない旧市街広場  市民会館
共和国広場  火薬塔


軽い散歩を終えても、朝食の時間には、まだ余裕があったので、朝のジョギングに出かけてみた。
走ったコースは、こんな感じ。

プラハの街は、基本的に石畳で、多少走りにくいところもありますが、のんびり走るジョギングなら、特に問題なかったですね。
Vltava河(ドイツ語で言うと「モルダウ」)の河川敷も石畳になっていましたが、自転車専用レーンとでもいうような、幅30センチくらいの長い石を敷いた場所があり、そこがとても走りやすかったです。
途中、私と同じような、観光客のランナーとすれ違い、お互いに軽く手を振りあったのも良い想い出。



朝早い時間のカレル橋は人が少なくて、とても気持ちが良かった!(iPhone3GSのカメラなので、ちょっと画質が...)

ホテルに戻り、シャワーを浴び、美味しい朝食をいただいて、観光に繰り出した。

さっき、ほとんど人がいなかった旧市街広場は、観光客でごった返していました。こういう場所は、早朝の人が少ない時間帯に来るのが良いね!
ティーン教会に入る。中は撮影禁止なので写真はありませんが、とても落ち着いた雰囲気で好きですね〜
壁には、キリストの処刑の場面を描いた12枚の絵が飾られていました。

カレル橋も、大混雑!

ちなみに、映画「Mission Impossible」の第一作目では、最初の舞台は、ここプラハでした。
映画で使われた場所を、いくつか「巡礼」することができました♪
パーティが開かれた大使館(ということになっている)建物
その大使館の裏口(イーサンが出てきた門)
同僚が殺されてしまうところ

そのまま、プラハ城を目指して歩いたものの、途中、疲れてしまったので、マラー・ストラナ広場に面したカフェで一休み。

カフェの席から見た、マラー・ストラナ広場

午前からビールを飲み、倒れてしまったリカルドくん

一休みして、英気を養い、プラハ城を目指す我々の前に、ちょっと長い上り坂。

この坂を登りきると、プラハ城の門が見えてくる。


プラハ城の門の手前から、プラハ市内を見渡したところ。 こういう街の雰囲気、好きだなぁ。


プラハ城の門。なかなか素敵な風格です。


門の前で演奏していた人たち。「モルダウ」を演奏してくれてました。この場所で聴くと、胸が熱くなります。

私にとっては、プラハ城の最大の見どころは、ミュシャのデザインによるステンドグラスでした。


他のステンドグラスも、とても素敵だったのですが、彼のステンドグラスには独特の魅力があります。
ため息出ちゃいますね。

旅行記 2013夏 第1日目 プラハに飛ぶ

 この日は、ひたすら移動だったなあ。

 朝7時に自宅最寄り駅から電車に乗り、武蔵小杉から成田エキスプレスに乗り、成田空港に移動。
 11時15分成田発のオーストリア航空ウイーン行きに乗り、ウイーンでプラハ行きの飛行機に乗り換え。
 プラハの空港に到着したのが、現地時間18:00頃。
 ホテルにチェックインしたのが、20:00頃じゃなかったかなあ。

 時差が7時間あるので、およそ18時間の移動ということになる。そりゃ、疲れる訳だ。



 ホテルは、プラハ旧市街の中(google map)にある、Grand Hotel Bohemia。1927年に建てられたアールヌーボー建築で、とても趣きがあるホテルでした。

 「のだめカンタービレ」のスペシャルドラマで、指揮者コンクールに出場する千秋がここに泊っていたことになってた・・・と、旅行ガイドブックには書いてあります。
そのドラマ、見ている筈なんだけれど、全然記憶に残ってないんですよねえ。覚えていたら、もっと楽しかったんでしょうけれど。


ホテルにチェックインして、荷解きをした後、食事をしようとヴァーツラフ広場に向かう。
ガイドブックで見つけた「ウ・ピンカスー」というお店に行きたかったのだけれども、見つけられず、屋台でローストポーク・ビールなどを買って食べた。


写真のレッサーパンダは、旅の仲間のリカルドくん。 成田空港で一緒になりました。
彼のおかげで、旅がとても楽しいものになりました。 ありがとう!リカルドくん!



ビール(ピルスナー・ウルケル)が500cc位で、50コルナ(約250円)
ペットボトルの炭酸水が同じく500ccで、35コルナ(約180円)

 よく「チェコでは、ビールは水よりも安い」というけれど、飲む場所にもよるのかもしれない。
 とりあえず「チェコでは、ビールは水のように安い」と思うことにしました。

 ピルスナー・ウルケルというビールは、ずいぶんメジャーな銘柄で、この後も何度か飲んだけど、コクがあって、美味しかったなぁ。チェコの気候に合っているんでしょうかね。




 で、この食事をしたヴァーツラフ広場、今では、賑やかなショッピングストリートというだけの趣ですが、1968年の「プラハの春」で、ワルシャワ条約機構軍が戦車を乗り入れた、まさにその現場なんですよね。
 1989年のビロード革命がなされたのも、この現場だと思うと、なんかシミジミと考えちゃったりしますね。

 涼しいプラハの夜、ビールを飲みながら、そんなこと考えたりしてました。

旅行記 2013夏


 2013年の夏、お盆の一斉休暇に有給休暇をつなげて、8月8日〜20日という比較的長い休みをとり、チェコオーストリアに行ってきた。

 出発してから、今日でちょうど一カ月。

 旅行を思い出しながら、思い出をまとめてみようと思う。

 旅程はこんな感じ。

8月8日 NRT1118 → PRG 1800 プラハ
8月9日 プラハ市内観光 プラハ
8月10日 プラハ市内観光 プラハ
8月11日 チェスキー・クルムロフに移動。 チェスキー・クルムロフ泊
8月12日 午前中にザルツブルグに移動 ザルツブルグ
8月13日 SOMツアー ザルツブルグ
8月14日 ザルツカンマーグート散策・温泉等 ザルツブルグ
8月15日 ヴァッハー渓谷経由してウィーンへ ウイーン泊
8月16日 ウィーン市内観光 ウイーン泊
8月17日 ウィーン市内観光 ウイーン泊
8月18日 ウィーン市内観光 ウイーン泊
8月19日 VIE1340 の便で帰国
8月20日 NRT着 0740

 見たいところを、どんどん追加した結果、とても盛り沢山の、でも時間的余裕もそれなりにある計画になった、、、と思う。

 オーストリア西部の、チロル地方インスブルックとか)も行きたいな、、とは思ったけれど、さすがにそこまで足を伸ばすのは難しいと思い、断念。
まあ、長い人生、また行く機会もあるだろうということで、こんな旅程になりました。